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オリオンとサソリ
いかがお過ごしでしょうか?おちこんだりもしたけれど、私は元気です。
冗談はさておき、冷えると非常に星が夜空に映えます。この時期からのオリオン座は最高です。ベテルギウスとリゲル、そしてベルトの三つ星が非常に綺麗で美しい星座です。
さて星になったオリオンさん。なかなかの男前でありました。狩りの名人でもありましたが、ガールハントも得意なんです。色々と浮き名を流し、盲目にされたりと大変な人生だったみたいです。
月の女神アルテミスと恋仲になるんですが、アルテミスの兄である太陽神アポロンは良く思ってない。そして殺意を抱くんです(…短絡的)。
アポロンの嫉妬により、命を狙われるオリオンさん。うーむ、不憫。
そしてアポロンはあろうことか、巨大なサソリを曾祖母ガイアに頼んで刺客として送るんです。あっ、危なーっいオリオンさんピーッンチ志村後ろーっ嫉妬如きで殺害を企てるとは、お天道様だって許しません。あ、アポロンが太陽神でした
しかし、ターミネーター並の強さで巨大サソリを倒してしまうんです。さすが我らがヒーローオリオンさん。楽勝ではなかったらしく、踵をサソリのハサミで切られてしまうんです(一体どんなケガなんだろうちょっと痛い)。でも致命傷には至らず。さすがオリオンさん。ほっと一安心
アポロンの刺客のサソリに勝ってしまったことで、ますますアポロンの怒りを買ってしまった不幸なオリオンさん。どーしても憎きアイツを殺害したい不肖の兄貴アポロンは、アルテミスを以下のように唆します。
『いくら弓の上手いお前でも、あの海に光るモノには当たらんだろう』
狩りの女神でもあったアルテミス。自尊心を傷付けられて黙ってるわけにはいきません。まんまとヤキモチ妬きの兄貴の罠に嵌められる狩猟の女神アルテミス。遠い沖に向かって得意の弓を目一杯ひきます。したり顔の太陽神アポロン
一方、何も知らずのんきに海を泳ぐオリオンさん。岸から愛するアルテミスに命を狙われているとも知らずに
アルテミスの放った恐怖の矢は、吸い込まれるように光るオリオンさんに命中。様々な困難に打ち勝ってきたオリオンさんは、皮肉な事に自分の愛する人によって命を落としたのでした
海底にぶくぶくと沈みゆくオリオンさん。沈む途中何を思ったでしょうか。
後日、アポロンの奸計だったと知ったアルテミス。海に沈んだオリオンさんを引き上げ、夜空に上げ永遠のものとしたのです。
ところでオリオンさんの命を狙ったサソリ。オリオンさんと戦ったことが認められ、夜空に上げられたのでした。実は今でもサソリはオリオンさんの命を狙ってます。オリオンさんはよほど怖いらしく、サソリが西に沈まないと出てきません。
ギリシャ神話にとどまらず、古代メソポタミアにも登場するサソリ。
『銀河鉄道の夜』にも出演。イタチに追われて井戸にボッチャーン。溺れて薄れゆく記憶のなかでお祈りするサソリ。
『ああ私は、今までいくつの命を奪ったか分からない。そしてその私が今度イタチに捕らわれようとしたときは、あんなに一生懸命逃げた。【中略】どうして私は私の体を黙ってイタチにくれてやらなかったのだろう。そしたらイタチも一日生き延びたろうに。どうか神様私の心をご覧下さい。こんなに虚しく命を捨てずにどうかこの次には誠のみんなの幸いのためにお使い下さい』
こう言ったサソリの体は真っ赤に燃え始め、今でも夜空を照らしてるのです。一等星のアンタレスは真っ赤に光っていて本当にきれいです。
冬の夜空に一際でっかく輝くオリオンさん。「サソリが狙ってますよ」って教えてあげましょう
びっくりして、西の空へ逃げて行くかもしれません。
Am I Dreaming?
せわしく様々な蝉が目の前にある小山で大合唱。時折吹き抜ける風が心地よく、用水路の流れる音が更に気持ちよくしてくれる。
田んぼの水面に目を移すと、無数のカブトエビが泳いでいる。稲にはまだ小さいイナゴもいる。
雨蛙が鳴きだし、雨が心配になり、ふと空を見上げると入道雲が発達して、遠雷が聞こえる。列車が走る音と汽笛が近くに聞こえるため、雨が近い。
ぽつぽつと降り出し、顔に雨粒が付く。一斉に蛙の大合唱。降り始めの雨独特の匂いが辺り一面を覆い、地面の熱を急激に奪っていく。
帰らねばと思ったその刹那、目が覚めたとある休日の午後。私は自宅の水槽前で眠ってしまったようでした。
やけに臨場感のある夢だと思ったら、水槽の濾過器から水がはねて顔にかかってました。
どこかで見た風景だと感じたんですが、先日判明。JR東日本の旅行の宣伝ポスター写真でした。すっげー良いところだったなぁ、行ったことないですけど(-_-;)
少数精鋭
大学時代の友人二人は、顕著にその変人ぶりが表れています。その二人のうちの一人は、在学中に法律関係の資格を取り(ろくに学校に来ないくせに)、何を思ったか縁もゆかりも無い仙台へ行くと言い残し、単身旅立ったのでした。まあ、無事に卒業しましたけど(ろくに学校に来ないくせに)。
その仙台に行きたかった理由が、常人には理解し難いんです。報道番組で『仙台箪笥』を見て、あまりの美しさに心奪われてしまったらしいんです。私にその『仙台箪笥』の素晴らしさを説いてました。凄いのは分かったんですが、法律の資格と『仙台箪笥』の因果関係が結び付けませんでした。合掌。
その彼も紆余曲折を経て、東京に舞い戻って来たらしいんですが、まだ会うには至っておりません。
最近は、何故か海底調査のため洋上生活を送ってるらしいです。大学時代から謎多き男でしたが、今も変わらずです。
後述する友人宅にドンキホーテで購入した、ぞうさんの形をしたトランクス(フロント部分が鼻になってる)一丁で遊びに来るような豪傑でしたから仕方ありません。
もう一人の友人は、物凄く頭が良かったのに、不幸が重なり私と先述した友人と同じ三流大学に来てしまった可哀相な人です。
彼の部屋は我々の溜まり場と化してました。特に私は、年間300日程度は行ってたんじゃないでしょうか。
そのアパートを決めたのは『耳をすませば』という映画に憧れたからなんです。多摩センターから聖跡桜ヶ丘の丘と坂道が大好きなんだそうです。しかし大学にある坂がイヤという事で殆ど大学には来ませんでした。徒歩10分なのに。
一見ロマンチストな感じがしますが、真逆でリアリストです。バイトはせずに株で稼いでました。部屋から全く出ないくせに、時々いない事があったんですが、証券会社に行ってました。
時折音信不通になることがありました。彼は好物が牡蠣なんですが、在学中にそれによる食中毒で3回も倒れるという離れ業をやってのけたのでした。
毎年夏の恒例行事といっても過言ではありません。食中毒の恐怖は彼から教わりました。
音信不通といえば、2週間ばかり連絡のつかない時がありました。ひょっこり帰った彼に聞いたところ、野宿をしながら各駅停車を乗り継ぎ、岡山まで行ってきたとのこと。最後に泊めてもらった家は、刀鍛冶の老夫婦の家でした。写真までご丁寧に撮って帰ってきたのでした。
うーむ。あのような怪しい男をよく泊めたなぁ。世の中には変わった人がいるもんです。
学生数が2万人を超えるマンモス校において、友人となったのはこの二人のみ。まさに少数精鋭。後日談ですが、学部内において私も変人扱いされてたようでした。朝から夕方まで講義を受け、それも一番前に陣取り、誰とも会話も交わさずにいたら、当たり前ですよね。
だーって、お荷物が二人もいたからしかたなかったんですよ。学校来ないから私が代わりにノート取らなきゃならなかったんですから。
三人とも全く違う性格。これが良かったのかもしれません。
日記
ニッキだと少年隊を思い出す方もいるのではないかと心配になります。『ニッキ、植草レッツダンスィング』
先日、電車内で日記帳に日記を書いてる方がおりました。嫌でも目に入るそのデカイ文字は私に見てくれと主張してました。
数日分を横書き1ページに渡って書いてあるのですが、どの日付の日記も
『朝起きた。そしてトイレに行った』で始まるのです。
ひょっとしてその人はトイレに行く事がものすごく大事なのかもしれません。
行ったか行かないが重要なんです。
ある日の日記ではこの枕詞に続き、社会的なコメントが。
『小田急線にもいよいよ国鉄の新幹線車両が登場。民営化の第一歩だ』
うーむ。特急あさぎりを新幹線と間違えたのか
国鉄は、20年ほど前に分割民営化されてる……。
しっかり毎日書いてたこの方を少しでも見習わなくては
枕詞は『昨晩は多分寝たはずだ。なぜなら起きたから』
記憶??
ショーン・パトリック・フラナリーという俳優がインディ役と主題歌を歌ってたはずです。CDが家にありました(^_^;)
誰に聞いても知らないという答えしか返ってこないんです。
なぜこんなに気になったのかと言えば、今年新しいインディが公開されて、前評判では色々謎が解けるなんて言われてたから、もしや私が抱えてきた謎が解けるのでは?とワクワクしてしまったからなんです。
『ヤングインディ』シリーズでは、100歳近くなった老インディがストーリーテラーとして登場します。博物館勤務だったと思いますが、定かではありません<(_ _)>
博物館内で騒ぐ子供に展示品を一つ取って、思い出を語り始めるというパターンで毎回物語が展開されていくのでした。
まあ、相変わらずの凄い展開で、少年だった私は心躍らされ毎週見入ってました。
友人がピカソだったと記憶してます。ヒトラーはやはりこのシリーズに不可欠な為、かなりの頻度で登場してたような気がしました。
そんなこんなで毎回老インディが、小うるさい餓鬼どもを黙らせてハッピーエンドを迎えるんですが、その老インディの目が片方無いんです。黒い眼帯を付けてるんです。独眼竜かと思いました。
今回の『4』では語られているのか、私はまだ知りません。つまり未だ観てないのです。気になるんですよねー。謎じゃ。
しかしながら、ホントにあの番組やってたのかもの凄く不安になります。勝手に脳内で私が作り出した幻想だったりして(*_*)
BANDIT250
確かに21世紀の新しいバイクに比べてたら、クセが無いとは言えません。
低回転も無く、スカスカです。しかしながら45馬力のパワーは得難いものがあります。
快適さなんて私には必要ありません。
官能的なエクゾーストノートと割り切ったスタイル、つまり排他的な乗り物であればいいです。
もう5万㎞も走ったけどノントラブル。しかしまだまだ現役です。たまに機嫌悪くなるけどご愛敬。19年も前のバイクですからね。
3万円で、とあるバイク屋さんから購入しました。何時でも来てくれる、そこの店主はホントにバイク好きであると痛感しました。ノントラブルなのもバイク屋さんのおかげです_(._.)_
儲けなんてあるのか心配になります。余計なお世話ですね。
それにしてもすげー!3万といえ大事にしなくては!
HARD LIFE?
類は友を呼ぶって言いますが、本当です。私と似たような環境で育ってきた人とはすぐに打ち解け仲良くなります。
そんな人に詳しく話を聞くと、大体同じコースを辿ってるのです。父親が女作って蒸発、若しくは別居および離婚。よって母親が女手一つで育てる。年の離れた兄弟、又は妹がいる。中学から高校あたりで若干ぐれるが、生きるためには肩書きが必要と大学進学を志す。と同時に生活費や学費を稼ぐ為にバイトを掛け持ち。
見事に仲良くなる人はこれと同じか、これに近い状態を経験してるのです。そしてその人達に言えるのが、みんな周りから「お人好し」と評価(善くも悪くも)されてます。
私を含めこのコースの人達は、基本的に楽天家な場合が多いです。私の場合は忘れやすいから、今までやってこれたんだと思います。
鶏並の記憶力と天性の丈夫さを持ち合わせて(?)いたので普通の家庭が羨ましいとか、キツイから死のうなんてあまり考えられなかったです。しぶとく生きていつか父親を見返してやるっていうのが本音です。
正直、父親がいなくて良かったと思うくらいです。面倒ないざこざも経験してないですし、それに私の父親はひどく女たらしなので、一緒に生活していたらそれが伝染って不倫やら浮気はして良いなんて思ってたかもしれません。
このコースを辿ってしまった人達の特徴に、次の事が挙げられます。
「自分が裏切るより裏切られた方がいい」
と言うんです。私もこの考えには激しく同意です。まあ、おそらく馬鹿だと思う人はいるはずですが、そう思われても一向に構いません。こればかりは己の信念であり、決して曲げられないんです。頑固なだけかもしれませんが…。
忌まわの際に良い人生であったと思えたら、それで良いのかも。今までの出来事が笑えるようになったら最高かなぁ。
らっこの上着とともに。
ますむら版といった方が良いかもしれません。
終始映像が暗く、日中観ると非常に観にくいのですが、作品として私は大変好きなんです。制作時には研究家の方々に猫が登場人物なんてけしからんと言われたらしいんですが、私は猫で正解じゃないかと思います。国籍も時代も分からない作品において、髪型や衣装を気にしなくてはいけない人間が出てきてしまうと作品に影響があると考えられます。
文字として読んだ、銀河鉄道の夜。かつて私が勝手に想像していた、登場人物像を壊すことなく、それを見事に映像化してくれた素晴らしい作品です。
反対した研究家達の言い分は賢治は猫が大嫌いだと書いてるからと主張していますが、私はそうは思いません。何故なら、大嫌いなはずの猫を題材とした作品が数多くある上に猫の絵まで残しているからです。
私はゴキブリが大嫌いです。それを題材とした小説を書こうなんてしませんし、更に絵なんて描こうなんてもってのほかです。
などと独断と偏見で書いてしまってますが、評論家ではないのでこれ以上書きません。因みに銀河鉄道の夜を本で読まずに、映画を最初に観た人は本当に猫が主人公なんだと勘違いしてしまっている笑えない話もあるとか。
銀河鉄道の夜は初期形(第1次稿~第3次稿)と最終形(第4次稿)があります。映画になったのは最終形です。カムパネルラが川で溺れて行方不明になっちゃうアレです。学校で習ったのも最終形かなと思います。
初期形の銀河鉄道による旅は、ブルカニロ博士の実験で見せられた夢だったいうまさかの展開なんです。読んでない方は必読です。
いずれにせよ、あまりに奥が深い当作品。読んだ人それぞれの解釈があると思います。私はジョバンニに自分を重ねてました。私にとっては聖書みたいなものなのかもしれません。
そういえば、この映画の締め括りはこれまた粋なんです。
『わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です~(略)』
タナトス
彼氏『俺は死ぬのはこわくない。いつ死んでもいい。』
彼女『ウチも。死ぬのが怖いなんて言ってるのは腑抜けだよねー。』
私は飲んでいた缶コーヒーを吹き出しそうになってしまいました。私は死ぬのが怖いですが、何か(-_-;)?腑抜けで悪うござんした。
【死】が恐ろしく感じるから、今まで必死に生きてきました。働かなければ餓死するかもしれなかったり、家賃だって払わなければ追い出されて野垂れ死ぬ可能性もありますし、ライフラインだって止められたら死活問題です。
それに【死】に至るまでは、沢山の苦痛のプロセスを通過せねばなりませんから、私は怪我をしないよう、怪我をしてもダメージを少なく出来るよう体を鍛えました。少しでも人より強くありたかったから格闘技もやりました。争い事も極力避けて生きてきました。小心者及び臆病者の境地です。
生物である以上はいつかは【死】が訪れるのは勿論分かってます。『私』という存在は、一度しかないので、必死に生きてやりたいんです。だからこそ、もの凄く【死】が恐ろしい。
私の祖父は、病に倒れて入院したとき『死にたくない』と絶叫してました。残念ながら亡くなってしまいましたが、あの時の祖父の姿を思い出すと、私の体にある遺伝子が【生】への執着を『私』に促すのです。
個人的主観ですが、『大事な人のために死ねる』というのは反対です。私は『大事な人のために生きる』のです。何が何でも生きてやるってのがモットーです。
お前の為に死ねるなんて大言壮語する人に限っていざとなったら、真っ先に逃げるに違いありません。私は間違いなく自分の身の安全を確保します。
何度も言いますが、私は【死】が恐ろしいのです。『私』という存在が消えてしまうのが大変恐ろしいので、形振り構わず生きてやります。
前述した、ヤンキーさんたちはそんなに死にたければ、どうぞご自由に。死ぬなら他人様に迷惑掛からない所で宜しく。世界中の紛争地帯でも巡って下さいませ。もっともそんな所に行っても真っ先に逃げるんでしょうけど。